「写経」とは
① 本来写経は仏道修行を志す者が仏の教えを自分自身の手で書き写すことで仏の教えを 深く学び仏の智慧を自らが体解するものでありました。
② さらに、自分自身の救いを希求するに留まらず生きとし生けるもの一切の救済を願う菩薩の行であります。
③ また字を書くという行為そのものが精神の集中を要することから深い心境(禅定・ぜんじょう)の要素もあります。
教室の願い
多福寺写経教室は上述の一般的意味合いからすれば本来の写経とは多少趣のことなるところがあります。
書写する正信偈はお経ではなく浄土真宗を顕かにされた親鸞上人の著作です。
親鸞聖人は釈迦如来がお説きになられた無数のお経の中で、罪悪生死の凡夫(ぼんぶ)が救われる教え~大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)~こそは真実の教えであることを論証し、後世の念仏者の疑惑を払うために著書「顕浄土真実教行信証」略して教行信証(きょうぎょうしんしょう)を作成されました。
正信偈はその教行信証の大事なエッセンスであり、浄土真宗を語り尽くした大事な聖教として永く真宗門徒に朝夕お勤めされてきたお念仏の讃歌です。
浄土真宗は、
写経の功徳によって自らが悟りをえるというものではなく、「念仏して阿弥陀の浄土へ生まれよ」という仏道であり、その仰せを危機従う他ないという信心の仏教です。
決して自分の善行を頼みにする修行の仏教ではありません。
正信偈は覚えるのが大事ではなく私の生活全体を照らすもの
多福寺写経教室は、日頃からお勤めしている正信偈の一字一字を写していくことで改めて私どもにかけられた願い、阿弥陀仏の本願に耳を傾けることに他なりません。
南無阿弥陀仏の信心を獲(う)るということは
私の生活全体が欲望追求の在り方から阿弥陀仏の願い、本願に生きる在り方に変わっていくことです。
一人一人のそれぞれの写経
そういうことで写経とは他人との字の優劣や見栄を競うものではありません。佐々木先生のご指導のもと、書き方のアドバイス等は頂きますが、仕上がりやスピードは一人一人違って良いのです。一人一人自分のための「写経」であります。
一回ごとの謝礼で、見学も自由ですからあくまでもマイペースで、無理せず息長く続けましょう。
(住職)
※寺院の行事等の都合で日時が変更になる場合があります。その際は事前にお知らせ致します。