浄土真宗という仏教について私なりに表現してみます。
仏教は歴史上の教主、お釈迦様により人類に説き明かされた救済の教えです。その教えは本来あらゆる人々の上に平等に開かれた教えであり、苦悩の根本-煩悩を除く道理を説く教えでした。
一方仏教の伝わってきた歴史を見ると、本来万人に開かれた教えのはずが、自ら仏教を求め自分の力で修行して悟る、いわゆる出家者が主体となっていました。
宗祖親鸞聖人自身も出家の道を歩みながらも、自分の苦悩を自分の力で解決し悟ることは出来ない、と痛感し悲嘆されました。
自力修道に対する深い絶望の中、宗祖親鸞聖人はお釈迦様の教えの本意が自力による悟りの道ではなく、称名念仏-即ち他力の仏道であったことを信知し喜ばれました。
宗祖は阿弥陀仏の本願こそ真実の仏道であり、浄土真宗として成就していると高らかに宣言されました。
煩悩に苦悩するものを救うために、阿弥陀仏は
本願という救済意志を仏自身の名、南無阿弥陀仏
という名号に込め、南無阿弥陀仏を称える者を必
ず救うという仏道を開いておられます。
南無阿弥陀仏を称えるということは、その事実を心から信じることです。
しかもその信心は私の分別の心ではなく、阿弥陀様から頂いた純粋な心ですから、それを原因として私達は必ず阿弥陀仏の国、浄土に生まれる結果が約束され、仏と成ります。この教えを浄土真宗といいます。
お念仏してその教えを深く信ずるという事は、私たちが執着している自分の価値観、それよりはるかに大きな世界に触れると言う事であり、それは私にかけられた大いなる願いに目覚め生きる、そういう新しい自己が誕生することです。
新しく誕生した私自身は、自分の人生はどんな時も決して無駄ではないと信じ、また私と縁のない人は誰一人いないんだという自己自身と周りへの信頼を持ちます。
そういう意味では、仏の教えは困難な人生を生きる上で私にとって無くてはならない拠り所であり、かつまた死して後戻っていける未来、浄土を与えてくれます。このような大きな安心感をお念仏は我々に与えて下さいます。